鶴川の家
2015年 05月 04日
鶴川は武蔵国と相模国の境になるので
白洲次郎は自ら「武相荘(ぶあいそう)と呼んだ
白洲次郎(1902-1985)と白洲正子(1910-1998)の住んだ家
「武相荘」に出かけてきました
実は今日はバイクで益子の陶器市に出かけようと
昨日から準備をしたのですが、朝起きたら小雨が降っていて
天気予報も栃木・茨城方面は曇りの予報
遠出はあきらめて また布団に潜り込みました
昼近くまでうだうだしていたのですが
何だか天気が良い
今から遠出は無理でも 近場ならと
しばらく行ってなかった「武相荘」に出かけることにした
鶴川にある「武相荘」は自宅から車で1時間ちょっと
前回きたのはずいぶん前で
しばらくぶりの「武相荘」 新しい駐車場も出来て、だいぶ小綺麗に整備された気がした
母屋に入って感じるのは 古い茅葺の家の匂い
このような古民家に住んだ経験は無いのだが
この匂いと設いに 体の中に刻まれた日本人のDNAが反応してしまう
なんだかとっても懐かしい気持ちがする
奥の北向きの6畳間は随筆家である正子さんの書斎
本に占領された部屋の窓際に 正子さんの文机がありました
電気スタンドに照らされた机上には何かの原稿が広げられ
今 まさに正子さんがそこに座って原稿を書いていたような
そんな気配が感じられました
次郎さんと正子さんが 座ってお客を歓迎しているような古いデッキチェア
次郎さんお手製の臼で作った郵便受け
「しんぶん」の文字もグッドデザイン!
次郎さんの使った農機具の手前に 年代物の芝刈機が
馬屋に置かれた戦前の車
何でも 次郎さんが若いころに乗っていた同型の車だそうです
何しろ次郎さん
80歳になるまでポルシェ911を乗り回していたというから驚きです
白洲次郎の遺言書が展示されていました
いわく
「葬式無用」
「戒名不用」
たったこれだけ
次郎さん カッコいいねぇ
ご自分の自宅を博物館のように公開することは
決して白洲正子の本意では無いと思います
でも 母屋に入った時の空気感は
この部屋で 確かに白洲次郎や白洲正子
青山二郎や秦 秀雄らの数寄者達が酒を酌み交わした
その息吹が感じられる
ここはただの建物博物館じゃ無くて
その時代を生きた白洲さんたちの空気感を共有できる
そんな稀有な場所なんだと気付きました
正子さんにかなり傾倒していました。
そして次郎さんはもうヒーローとしか言えない!
(ブログにも書いたほど。)
そして若き日の父が大学から駆り出され
逓信隊に所属しモールス信号の解読に当たったというのが
そちらのようです。
疾風谷さんにとてもお似合いの場所ですね!
ご紹介ありがとうございました。
(ただ今、亡き父を偲ぶ旅から戻りました。)
武相荘 出かけたのは2回目だったのですが
今回も良かったですね
混んではいたのですが、白洲さん夫婦が今でも住んでいる
そんな 空気感なんです
主がいなくなった家は生気を失いがちですが
この家は「家」が生きているという気がしました
ぜひ1回お出かけを
連休を満喫しているようですね。うらやましいです(泣)